ご利益(ごりやく)について考える

ご利益(ごりやく)とは神社仏閣にお参りしたりお地蔵さんの頭をなでたり、とにかく人智の及ばない何かにお願いごとを致しまして自分や身内などにご利益(この場合はりえきと読みます)が訪れるようにお願い致しまして、その望みが叶う力のような現象を指すようですが、困ったときの神頼みなんて言葉も有るように普段は全く無視している癖に、自分の都合の良い時だけやってきて頼み事をされても、頼まれたほうも困ってしまうのではないでしょうか?

思うに情けは人のためならずなんて言葉が有りますように、困っている人を助ける行動ですとか奉仕の心をもって行動している方が、回りまわって自分にご利益が戻ってくるような気も致しますし、お賽銭の金額によってお参りに来た人を差別するような了見の狭い神社仏閣の主もいないと思いませんか?

ただし私はご利益が有るとか無いとかに関係なくその手の場所に出かけていきまして、手を合わせることは平和な日本を作る原動力になると思いますし、心を清らかにする効果も有って何らかのプラスが自らに働くと思います。

さてここから少々厳しいことを書こうと思いますが、ご利益を期待するかどうかは別に致しましてお賽銭を賽銭箱に入れますと、そのお金はもちろんその管理している場所の物になるわけですが、その昔のお寺さんは、基本的に物欲と無縁の世界で受け取ったお賽銭はもちろん自分たちの生活費や、建物の改修などにも使いますが貧しい人達に施しをしたり、困っている人を助けたり寺子屋の運営など、世のため人の為に結構使わてれいたのではないかと思っています。

ですからご利益を求めてお賽銭を投げ入れた人のお金は知らないうちに他に人に役立つ形で使われていて、そのお陰で人智の及ばない力が働きましてお賽銭を入れた人にご利益がもたらされたのではないかなって思っているのですよね。

そんな風に考えますとご利益を求めてどこかにお願いするのであれば、単にお金を集めるだけの場所なのかちゃんと世の中に対して何らかの形で還元している場所なのかを判断致しまして、正しい場所にご利益を求めて訪ねれば望みが叶うのかもしれませんね。

追伸
しかし苦しくなって神頼みしか無いと考えてしまうのはどうかと思いますし、最初に書きましたとおりにいきなりやってきて勝手にお願い事をされても自分だって困るのですから、本当にそれしか手段が無いのか考えてみるべきなのでは無いでしょうか?

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