他人の不幸を考える

光有るところ影があるなんて事は言われなくても分かっていますが、どうやら幸福ってのは相反する不幸って奴が存在して初めて幸福もその姿を実感できるような代物らしき事が発見・・されたかどうだか不明ですがとにかく今回のコラムでは他人の不幸について考えて見たいと思います。

でね親から言われた人も少なくなと思いますが他人の不幸を笑ったり喜んではいけないよって事になっていますが、汚い手を使ってあくどく金儲けをした企業の経営者が落ちぶれていくとか、税金の無駄使いをし放題で仕事をまともにやっていなかった役人が贈収賄容疑で逮捕されたとか、これも一応他人に不幸に分類して構わないと思いますが、こーゆーのは水戸黄門や暴れん坊将軍の大岡越前が悪代官を成敗するようなもので、他人が笑おうと喜ぼうと一向に構わないと私は思うのですが、果たしてこの辺りの切り分けのような部分はどう考えたらよいのでしょうかね?

さらにもう一つ例を挙げてみようと思いますが、上記の事例は原因は一切自分になくて他人に不幸が降りかかってきた場合ですが、例えばとある企業経営していまして、商売敵と言いますかライバル企業が存在して居るって事は無いほうが珍しいのでありますが、まあとにかく頑張って働いてライバル企業よりも格段に品質が高くて安い商品を開発して販売攻勢をかけたお陰で、売り上げは急上昇して、おまけにライバルだった企業はその余波をまともに受けて会社は倒産、ライバル企業の経営者だった人は自己破産して従業員も路頭に迷った何て事は現実には欠講事例が有ると思いますが、実際の所、自分の会社の売り上げが急上昇してオマケにライバルだった会社まで倒産して市場で独占的な立場になった場合、例え経営者が人格者だったとしても素直に喜んでしまう場合が多いのでは無いでしょうかね?

この場合も難しいところで、商売(仕事)に一生懸命取り組みませんと逆に自分のほうが不幸になってしまう可能性が大ですし、そもそも会社の目的は商品やサービスを出来るだけ多く販売して利益を出して税金の形で社会に還元するって事ですから、その活動の延長上にライバル企業やその経営者を不幸にしてしまうって事が絡んでくるのだと思うのですよね。

しかしまあそうやって考えて見ますと全ての幸福がそうではないにしても、結構な割合で他人の不幸を元に別の場所では幸福が発生しているので有りまして、単純に自分の幸福を願って行動するってのも奥が深いので有りますね。

本コラムのAI朗読